それって普通じゃ...?

青い瞳のウエスタン
青い瞳のウエスタン
池戸 裕子


ん?「青い瞳のウェスタン」?

それはアリなの?

じゃ、

「黒い髪の素浪人」
とか、
「黒い肌のソウルキング」
や、
「一重まぶたのカンフーマスター」
もOK?

さらに言えば
「青い血のスルメイカ」
も問題ないワケですね?

肩書や高収入が目標とか、そんなレース

 2/27号の週刊スパの中吊りにこんな見出しが書かれていました。

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エッジな人々・インタビュー
井上陽水奥田民生
「肩書や高収入が目標とか、そんなレースに参加したくないよね」
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とあるきっかけで週刊スパは買わないことにしているので、インタビューの中身も読まずに見出しだけに反応します。わざわざ「肩書や高収入が目標」と書いてあるので、昨今のいわゆる『勝ち組・負け組』の価値観の窮屈さに背を向けようという内容なのではないかと推測します。

 この見出しを見ての私自身の感想は、「それって、今ことさらに宣言することなんだろうか?」でした。なにしろ、『出世したくない症候群』という言葉が流行る御時世。『モーレツ社員』の時代ならともかく、雑誌の見出しで有名人の発言としてワザワザ取り上げることとも思えません。

 さらに言えば『肩書や高収入が目標』と、この二つを一緒にカテゴリーとしているのも違和感あり。『勝ち組・負け組』の価値観では、収入の大小が最大の基準になっていて、肩書は二の次になっているのではないかと。たとえIT新興企業の社長だったとしても、収入が低ければ『勝ち組』には入れてもらえないでしょう。こう書くと、『金だけを求める拝金主義』と『勝ち組・負け組』の価値観を非難しているみたいに見えるかも知れませんが、個人的にはそんなに悪くは思っていません。

 つまるところ、現代では高収入を求めている人はそれなりに数多くいるけれども、肩書を求めるひとは昔に比べれば随分減っているのではないかと思うわけです。

 では、何故『肩書』人気が低下したのか。私が思うに、昔は今よりもずっと『格差社会』であって、エライ人は今よりも遙かにエライ人だったからだったからではないかと。戦後で有れば、森繁主演の『社長』シリーズや、戦前なら小津安二郎の傑作『生まれてはみたけれど』といった映画を見ると分かるのですが、会社の中のヒエラルヒーは今となっては考えられないほど厳格で、ヒラから見て課長は専制君主、部長となると雲の上の人、社長なんて年に何回顔を拝めるか、といった風情。給料の金額差は別にしても、役職が上の人は今よりもずっと大きな顔をしていたようです。現在なら、課長が個室を持って課長室の中で執務するなんて考えられないんじゃないでしょうか。これは、ある意味職場内の環境が『格差社会』から解放された結果ということなんでしょうけれど。

 肩書が付いたって、昔ほども威張ることもできず責任だけが重くなって、その上給料が大して上がらないとなったら、そりゃみんな出世したくなくなりますわな。そんな中で、「そんなに威張れなくてもいい、担う責任が大きくなってもいい。ただし、仕事に見合うだけの報酬だけはキッチリいただく」という風に『勝ち組・負け組』の価値観を読み替えれば、それなりに理解できるものじゃないかと思うのですが、どうでしょう。『金が全て』というと印象が悪いですが、出自や肩書だけで人間の序列が決まる社会よりはマシな面も多いのではないでしょうか。

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