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明治商売往来

 今日取り上げる「明治商売往来」という本ですが、明治21年東京・日本橋に生まれた筆者が、もう見られなくなってしまった明治の商売の様子を書き留めた好エッセイです。



明治商売往来 / 仲田定之助著
東京 : 筑摩書房, 2003.12
(ちくま学芸文庫)
注記: 底本: 「明治商売往来」(青蛙房, 1969.1刊行)



筆者の実際に見聞きした記憶からたぐりよせた過去の姿が生き生きと書かれている為か、明治に生きていたワケでもない私が読んでも、懐かしさに浸ることができました。その中から、特に印象深かったところを少々抜き書き。


わんぷらいすしょっぷ
 日本橋通三丁目の西側、いま日本信託銀行本社の北角のあたり、交番を隣りにして、"わんぷらいすしょっぷ"と平仮名を横書きの看板を出していた角店があった。その看板は立派な銅板張りで、文字は金色の真鍮浮彫りだったと思う。これは半襟、組紐、簪、櫛、笄など婦人装身具を商う安田えり宇の店舗で、二十銭、三十銭、五十銭、一円と売価によっていろいろな商品を一ところに集めて売る、当時としては珍しい均一店だった。(中略)
このえり宇でも正札販売を厳守していた。そして看板には別に"まけぬといふたらほんまにまけぬ"と大書してあった。ここの主人は関西の人らしかったが、日本橋の真ん中で、この毅然たる関西弁の正札宣言は人目を引くに充分だった。
 この人の意表をついたような商策が成功したかどうかは知らないが、少年のわたしにとって、この安田均一店の看板はまことに印象的だった。そしてわたしは友だちとこの店の前を通るたびごとに、"ぷつよしすいらぷんわ"とか"ぬけまにまんほらたふいとぬけま"とか、逆さに読んでは意味のない呪文のような文句を早口にしゃべるのを興がった。(p.72-72)


正札売りと言えば、三越百貨店の前身の越後屋呉服店の「現銀掛値なし」が有名ですが、明治になると横文字が入ってきて「わんぷらいすしょっぷ」なんですな。「百円ショップ」の嚆矢。


雑誌の呼売り
 どこそこの誰が誰とどうしたとか、こうしたとか、たわいもない情事の素破抜きや、根も葉もないような噂話の投書から、誇大な市井のスキャンダル記事を満載した、その名も「道楽世界」という、低級で下品で、薄っぺらな大衆雑誌があった。月三回くらいの刊行だったのではないかと思う。そんなゴシップの種になった人の近所へやってくる雑誌売りは「さァさァ、唯今、新しい「道楽世界」がでました。御当所○○町の誰それさんは・・・」などと掲載された記事の内容をちょっぴり覗かせて、煽情的な読み売りをするのである。どれだけ読まれ、どれだけ売れたか知らないが、小さいゆすりのような悪徳行商人だった。
 いまの低級な週刊誌がスターや、選手など有名人のプライバシーを侵害するようなゴシップ記事の広告を見ると、むかしの「道楽世界」の呼売りだなァと思うのである。(p.109-110)


『明治の人間はスケールが違う』などといいますが、こういうイヤラしい行為ですら、現今より堂々としているところがスゴい。こんなの明らかに恐喝じゃないですか。



蕎麦屋の書家
 せんだって砂場の主人を囲む座談会の記事を読んで、むかしはそば屋あいての珍しい商売があったことを初めて知ったので、念のため書きとめたいと思うのである。
 どこのそば屋でも、もり、かけ、ざるから始まって種ものなど、品書きの文字は一癖ある古風な筆致であることは知っていたが、その品書きを専門に書いて廻る書家というか、筆工というか、これだけを渡世にする人達があったという。提灯屋の文字だけを書く職人のように、これはそば屋のビラ、看板だけを書くのである。品書きがよごれて、古びたころを見計らって出入りのそば屋へ風呂敷包みを背負って、「いかがです。もう書き直す時分でしょう」、そういって下ろす包みの中には、大きな箱に筆、硯、紙までが入っているのだそうである。
 このそば品書きの文字職人は、面白いことに「景丸」とか、「芳丸」とか語尾に必ず丸がついた雅号があり、中でも「竜丸」という人が一番うまかったと、砂場の主人村松茂さんは語っている。そしてこんな人達が戦前まではいたそうである。(p.130-131)


古今亭志ん生師匠のマクラの一つに、「猫のノミ取り」という商売があります。昔は今ほど世知辛くなくて、のんびりしていたことの引き合いにでてくる話で、飼い猫のノミを取るだけで飯のタネになったというもの。そば屋の品書きを専門にしてメシが食えた時代ってのも、志ん生師匠の猫のノミ取りに劣らず悠長な時代の雰囲気が伝わってきますね。


生盛薬館の薬売り
日清戦争、義和団事件、日露戦争と継続した戦争の谷間にあった日本は、強く富国強兵が打ち出されて、軍国調一色に塗りつぶされていた。こんな風潮は売薬の行商にまで及んだ。そのはじまりは恐らく明治三十二年ころだったろう。生盛薬館の薬売りが出現したのである。
 金モールの筋を何本も巻いた軍帽のようなものをかぶり、黒羅紗に両前金ボタンという軍人の礼装まがいの上着には金ピカの胸章や、肩章が、そして腕には金筋や、渦巻がいくつもついているのを着、その上に肩から大綬のようなものを斜めに下げ、腰には鞄をぶらさげていた。赤い太筋のついたズボンに靴をはき、手には手風琴を持っている。なんとも珍妙な姿だった。
 「せいせいやかんのばいやくは・・・インフルエンザに肺の咳、痰咳、溜飲、胸つかえ・・・」と宣伝文句の歌詞をうたいながら、単調なリズムで手風琴を弾く。その"せいせいやかん"と聞こえるのは生盛薬館ということで、当時としては奇抜な宣伝であり、斬新な販売方法だった。この音楽入りで、陸軍将校のように盛装した薬屋さんは少なくとも子供たちの好奇心を満足させるに充分だったから、"せいせいやかん"のおじさんがくると、大勢ついて歩くのだった。そしておじさんが歌の一節を唄い終ると、ユーモアたっぷりに「オイチニイ」と歩調をとって言う。子供たちもそれに続いて「オイチニイ」と連呼する。また子供たちはその語呂から「せいせいやかんの禿げ頭・・・オイチニイ」とおじさんをからかうように唄うのであるが、酸いも甘いも噛みわけたようなそのおじさんはニコニコして、時には手風琴で伴奏したり、「オイチニイ」と掛け声をかけたりする。そんな微笑ましい風景も見られた。
 しかし、子供に人気はあっても、商売の業績は必ずしも香しくなかったのかも知れない。一時はこの生盛薬館の薬売りの姿を東京の街々でよく見かけたが、いつか消えた。そして都落ちして地方の小都市の街や、辺鄙な山間の街道などで、着古して羊羹色になった例の軍服姿で、手風琴をかかえたピエロのように歩いているのを見かけた。(p.346-348)


吉村公三郎監督の「足摺岬」(1954年)という映画に、殿山泰司演ずる薬売りが登場するのですが、この記事の薬売りそのままの軍服姿でした。昭和初期の高知の小さな村を練り歩く姿は、「着古して羊羹色になった例の軍服姿で、手風琴をかかえたピエロ」という文章のまま。ただし、映画の中では「せいせいやかん」とは言わず、「コトヒラキンショウ堂のオイチニイの薬が参りましたよ」と声を出していました。「オイチニイの薬の効験は 頭痛とめまいに立ちくらみ 痰咳、溜飲、胸すかし 産前産後の血の道や・・・」と続きます。この映画の原作の田宮虎彦作「足摺岬」には、薬売りの口上は書かれていなかったので、脚本の新藤兼人さんが付け加えられたのかもしれません。

コメント
オイチニの薬売りの歌は、黒沢明監督の「まあだだよ」にも登場します。
主人公のモデルになった内田百里鰐声22年の岡山生まれですから
(百亮身の随筆にも登場しています)
本当に全国津々浦々まで行商し親しまれていたんでしょうね。
  • 八雲
  • 2008/11/24 12:06 AM
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